将軍家を祝賀する <朝鮮通信使・歴史・江戸時代>

朝鮮通信使は主として将軍家を祝賀するためにやってきた国使であり、中国皇帝に対する朝貢使節と同様の役割、すなわち将軍の権威の誇示に利用された。

同時に鎖国を国是としていた当時の日本において、間接的にではあっても中国文化に触れることのできる数少ない機会でもあり通信使の宿泊先には多くの日本の文人墨客が集まり、大いに交流がなされるという副産物をもたらした。

藤原惺窩をはじめとした儒家同士も交流があった。

江戸時代を通じて朝鮮通信使一行のための迎賓館として使用された備後国鞆の浦の福禅寺境内の現在の本堂と隣接する客殿は江戸時代の1690年に建立され、日本の漢学者や書家らとの交流の場となった。

1711年に従事官の李邦彦が客殿から対岸に位置する仙酔島や弁天島の眺望を「日東第一形勝と賞賛し、1748年に正史の洪啓禧が客殿を「対潮楼」と名づけた書をのこし、それを額にしたものが対潮楼内に掲げられている。
update:2010年03月09日